病院にいた頃を思い出す

少しブログを書いてみて思ったのですが、

ツイッターとはまた違った、好きな事について無限に書けるこの感じ、

入院していた頃を思い出します。

 

いい機会なので、自分が入院したときのことについて話しましょう。

自分は平成30年の梅雨、精神を取り乱して自殺をはかったため、

医療保護入院というかたちで精神病院に入院しました。

 

発端というか表面的な理由は恋人との喧嘩にあったのですが、それはあくまで表面的な理由です。

 

根源的な理由は、自分と他人が違うことに耐えられなかったことです。

どれだけ言葉を交わして、相手をわかったような気になり、相手を愛していても、ちょっとしたことで殺人にまで発展します。

お釈迦様や孔子だって、前頭葉に腫瘍ができるだけで、性格が凶暴化します。

何年もかけて、数え切れないほどの言葉で一時的な自分の感情を表現しようとしても、たった一秒の感情すら、言葉では抽象化されすぎて説明できません。

「貴方をころしたい」というときに紛れている慈悲の心も、

「愛している」というときに紛れている今までたまった鬱憤も、

言葉では説明できないということに絶望しました。

すべての言葉によって紡がれているものは、

他人の単語とコンコードして、自分と他人は同じなんだと思い込みたいがためだけにつくられた幻想なんだ、と思ったんです。

 

現に、この感情すら文にはできてはいません。

そこで、もう自分は、世界に還った方がさびしくないと思ったんです。

つまり、自殺です。

 

ざっくりとリストカットしました。

でも全然あまかったですね。死にませんでした。リストカットでは死ねません。

すぐに発見され、病院に行き、そのまま入院となりました。

 

その日が暮れる頃には、少し冷静になってきました。

人と話すと、ことばの幻想のとりことなって、孤独であることを忘れたような気になれます。

 

ですが夜、病院で消灯時間になると、自分が孤独であるという本質を、思い出します。

取り乱しました。

夜勤の看護師さんに迷惑をかけながら、鎮静剤?を呑み、その日は眠りました。

 

次の日、病院にはまだ一切の私物は持ち込めず、ネットは禁止のため、看護師さんに病院の鉛筆と紙を貰い、日記をつけ始めることにしました。

自分との対話です。

 

私は、そのなかでスア(自分の創作で登場する母性の神)について考え始めました。

私は、スアにすがろうと思いました。自分と他人という対立をスアに止揚しました。

 

スアは、真であり偽であり、静であり動でもあります。

全てを包み込む母性を持ちます。一元論です。ウパニシャッド哲学の、梵我一如にもにています。

 

自分はそもそも、世界とは分離されていないことに気付けました。

スアのおかげです。

 

私が今、死なずに生きているのは、死ぬ意味がないからです。

スアに、差異を止揚した意味を持たせる前は、死ぬことこそが世界(スア)に還る事だと思っていました。

 

ですが、今は認識が変わりました。

いつまでも、どこまでも、生きていても、死んでいても、

我々はスアに抱かれているのです。

 

このことに気付けて、本当に私は幸せでした。

 

まとまりはないですが、以上が私が病院で考えたことです。

見ていただきありがとうございました。