富を巡る宗教戦争

 カトリックというのは古典ギリシア語で「普遍」という意味が由来だ。ローマ・カトリックというのは神を十字架にかけて殺してしまったローマが、人類を代表して神に対して無限に回心し続ける仕組みを持つ巨大養子縁組であると信徒として捉えている。

 カトリックの聖職者は生涯独身の誓願を経て、少なくとも教会法の建前上は財産の私有や世襲、相続が不可能とされる。

 オランダやイギリスが近現代で世界金融の中心になったのはカトリックから資本を盗んだ欧州大陸の強盗犯罪者が逃げおおせて本拠地に蓄財しやすかったからではないか?そもそも万国普遍の公共財を担うカトリックから英国の教区の教会を丸ごと盗み、異論を唱えた信徒を処刑し、修道院破壊や蓄財相続をして私有化したのが英国国教会だった。

 生涯独身の聖職者しか合法でないという建前のカトリックは、新興勢力にとって既得権益を築くのに不都合だった。メディチだろうがボルジアだろうがルネサンスのイタリアの富は地上の権威が廃れたあと全てカトリックが回収してきた。聖が俗を上回った養子縁組であるからだ。

 教皇アレクサンデル6世とサヴォナローラは二人とも幼少期に洗礼を受けたカトリックであった。この事実は不可逆で変わりがなかった。そもそもカトリックは神の言葉から合理的に築かれる教会法の建前に罪人が何度も自らを改める歴史的な営みで、人が誤り得る限り、誤った人が自らを正しく変えられるための唯一の普遍の基準とされてきた。個人や内部集団の水準で誤ることがあっても、神の言葉が地上を統治するという建前の順序が逆転することは一度もなかった。

 例えばムッソリーニヒトラーカストロといった歴史上の独裁者もまた幼少期にカトリックの教会で洗礼を受けた信徒であった。彼らが神の言葉から築かれた法に回心する可能性を見越してのことか、教皇が彼らを破門することはなかった。

 歴史的にカトリックは最も原初的で垂直的な国際機関として聖書の言葉に基づく神の計画を地上に実現するため富を集積してきた。

 カトリックの資産は不動産や美術を現金に換算すると推計数億ドルから数兆ドルを超えるらしい。額は換算の方法によって変わるが少なくともバチカン銀行は五十億ドル以上あり、信徒が公共財と捉えて献金した二千年の歴史と実際の公共事業の歴史がある。16世紀のイギリスの王侯貴族はそのイギリスのカトリックの公共財を丸ごと全て強奪して私有化した。

 一方英国国教会式の王族、貴族、牧師は蓄財と相続が合法で俗が聖よりも上回っていたから格差は開き続け、富だけを貪り「キモマネー」は闇に消えた。

 その「キモマネー」について語ろうと思う。問題は16世紀、英国の国王がカトリックの教会を丸ごと盗んで修道院を破壊し聖トマスモアを処刑、オランダもカトリックのスペインから独立した。

 1536年から1540年にヘンリー8世の「修道院解散」で英国全土の約800の修道院・病院・学校を解体。 土地、建物、金銀、美術、蔵書を王室と貴族が丸ごと私物化した。当時の価値で英国のGDP数年分(現代換算で数兆ドル以上)。

 これが「キモマネー」の最初の原資だった。同時期にオランダ独立戦争でスペイン領ネーデルラントカトリック教会財産を没収。その資金でオランダ東インド会社(VOC)が設立され世界初の株式会社型植民地帝国が誕生した。アムステルダムが金融の中心に躍り出る。 これで「公共財 → 私有財産 → 資本蓄積」の回路が完成した。 これら二つの国は公共財を種金に戦争債務融資の投資家出資と奴隷貿易、植民地搾取で転がし富を肥大化させた。

 英国やオランダの成功は「カトリックからの略奪」に基づいているから、日本が明治維新以降に必死に追いかけてきた「英米モデル」は、そもそも「盗んだ種銭を回して作った、持続不可能なバブル」に過ぎない。

 教会は「永続的な公共体」だったから蓄財が世界共通の教会の公共財に回収されていたが、国教会・プロテスタント国家は「蓄財・相続・世襲」を合法化。俗が聖を凌駕した瞬間だった。

 17世紀から18世紀には金融資本が爆発。アムステルダムからロンドンへの金融センターに移転。1660年代以降、英国がオランダから金融技術を吸収。1694年にイングランド銀行設立(修道院解散の富+植民地搾取の利益で)。ここから「国家債務を民間銀行が管理 → 永遠に利子を生む」というシステムが始まる。

 金融制度の歴史にも変遷があった。中世のカトリックの教会ではウスラといって高利貸しが禁じられていたが、独立後のオランダやイギリスでは解禁され、さらには生命保険や株式投資が発達した。1602年、オランダで世界初の株式会社であるVOCが株式を公開し、アムステルダム証券取引所(世界初の現代的株式市場)を生んだ。株価変動、短期売買、先物取引が可能になった。イギリスでもイングランド銀行(1694年)や東インド会社が株式市場を活性化。17世紀初頭からオランダのVOCには貨物保険などの海上保険が発展。生命保険は17世紀中盤に登場した。アムステルダムで死亡リスクを賭けるギャンブル的契約からの正式化だった。1660年代にはロンドンで火災保険、生命保険が登場(ロイズ・オブ・ロンドンの原型)。死亡保険が普及し、年金や年金基金も生まれた。利息容認によりリスク分散が可能になり、長期投資や資本蓄積が加速。オランダ黄金時代(17世紀)の繁栄はこれらの金融制度が支えた。

 18世紀から奴隷貿易・植民地金融の完成。英国・オランダ・フランスがアフリカ奴隷貿易で巨額の利益。奴隷船・砂糖・タバコ・綿花の利益がロンドン・リヴァプールアムステルダムの銀行に還流。これが「キモマネー」の第2波。表向きは「貿易」だが、強奪した教会財産を種金に投資で転がしまくった奴隷搾取の血の金。

 1815年ナポレオン戦争後、英国が「非公式帝国」を構築。軍事占領せず、金融・債務で支配。ラテンアメリカ独立後、英国銀行が債務を握り、関税・通貨・資源政策を強制。インド・エジプト・アフリカでも同じ。

 19世紀末になるとロスチャイルド・モルガン・ロックフェラーといった大富豪の財閥が台頭した。鉄道・石油・鉄鋼・銀行を掌握。思い返すべきなのが彼らの富の源流は、修道院解散の土地売却益+植民地金融+戦争公債。

 20世紀になると現代版「キモマネー」が完成する。1913年には米連邦準備制度FRB)設立
ウォール街の私的銀行団が通貨発行権を握る。 国家が銀行に永遠に利子を払う構造。

 ブレトン・ウッズ体制(1944)からドル基軸通貨へ。米ドルを金に裏付けつつ、実質は米軍事力+金融支配。1971年ニクソン・ショック金本位制崩壊後、ドルは「世界の公共財」を米軍とウォール街が私物化する究極の形態になった。発展途上国に高金利債務を押し付け、 資源・政策・市場を開放させる。19世紀英国の「債務支配」の完全継承。

 現代に入るとシンガポール・香港・ドバイ・スイス・ロンドン・NYが「キモマネー」の最終集積地になる。租税回避地マネーロンダリングプライベートバンキングの聖地。源流はすべて「カトリック教会から盗まれた公共財」 で、それを基に、奴隷貿易・植民地・戦争・債務で増殖させた富。

 「キモマネー」は、 神と民衆の公共財を、俗の権力が武力・欺瞞・金融で強奪し、永遠に利子を生む怪物に仕立て上げたものだった。

 キモマネーパワーは英米の哲学や思想にまで波及した。イギリス経験論は「過去の権威を経験的に再検証」という形でプロテスタント側の略奪を「資本主義の精神」で覆い隠す役割を果たした。ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でも、プロテスタントの禁欲が蓄財を生み、資本主義を推進......?これがカトリックの「公共財・普遍法」に対する反発として機能した。相対化(すべて経験次第)は、絶対的罪(強奪)を「進歩の必要」って言い換える方便になる。「絶対の神」に対する「相対の人」という神中心から自己中心の物語の転換も行われた。

 キモマネーで作られた英米を中心とした新興勢力は蓄えられた富で歴史の改竄すら始めた。

 英米の「ブラックレジェンド(Black Legend)」は、スペイン帝国(特に16世紀の征服・植民地支配)を意図的に悪魔化・誇張したプロパガンダとして成立した歴史観で、主にイギリスとオランダのプロテスタント勢力が宗教・政治・経済的対立の中で作り上げたものだった。

 ドミニコ会のラスカサス神父が書いたインディアスの破壊についての簡潔な報告(1552年)が最大の「燃料」だった。本書はスペイン人によるインディオ虐待をカトリックの修道司祭が告発したものだが、これはラスカサス神父がスペイン王に改革を訴える内部批判だった。 しかしイギリス・オランダ・フランスのプロテスタントの新興勢力が部分を引き抜き翻訳・出版・挿絵を加えて大々的に流布。これにより、「スペイン人=先住民を犬に食わせる野蛮人」という典型的な捏造イメージが広まった。

 なぜ歴史改竄やプロパガンダが生まれるかと言えば、あらゆる新興勢力の既得権益にとって公共を重んじるカトリックが目障りだからだ。つまりは「私益に反した敵」がカトリックであるという利害が新興勢力のあいだで一致している。

 中国の反米のプロパガンダを笑えるか?自分たちも同じことをしているのに。

 「ブラックレジェンド」こそが、「キモマネー」の第二の原罪だった。16世紀、ヘンリー8世修道院を解散し、800以上の教会・病院・学校を破壊して得た富を王室と貴族が丸ごと私物化した瞬間から、英国は「公共財の強奪」を合法化した。 その富がイングランド銀行の種銭となり、奴隷貿易・植民地金融・戦争公債で爆発的に増殖した。 だが、そこで問題が一つ発生した。 「自分たちの富の源流が、血と略奪であることを正当化する必要」が生まれた。そこで生まれたのが「ブラックレジェンド」だった。「スペイン帝国だけが特別に残虐で野蛮で非人間的だった」という、歴史上最大級の責任転嫁と他責の物語、プロパガンダだ。

 1530年代、スペイン領ネーデルラントでアルバ公が反乱を鎮圧した際の略奪(アントウェルペン略奪)は、確かに悲惨だった。 だが、それを「カトリックの野蛮さ」の象徴として、プロテスタント側が何千枚ものパンフレットを刷り、ヨーロッパ全土にばら撒いた。

 一方で、同時期にイギリスが始めた奴隷貿易(ジョン・ホーキンスの奴隷船団は1560年代から)や、オランダがインドネシア・セイロンでやった虐殺は、一切語られない。

 つまり、「キモマネー」の第一波(修道院解散・教会財産強奪)が終わった直後、 「キモマネー」の第二波(奴隷貿易・植民地金融・債務支配)が始まる前に、 「自分たちがやっていることは正義であり、スペインだけが悪だ」という物語が必要だった。

 それが「ブラックレジェンド」だ。

 このプロパガンダは、「公共財を奪った側が、自分たちの略奪を正当化するために、カトリック大国を悪魔化する」という、「キモマネー」の完全なサイクルである。教会財産という公共財を奪い、その富で私物化教会の上に居座る血縁世襲の金融帝国を築き、自分の行為を正当化するため、別のカトリック圏の世俗勢力を「史上最悪の悪」と捏造し、歴史を書き換え、教会と世俗政治を混同し、教科書に刷り込み、後世まで「スペイン=悪」「イギリス・オランダ=自由と文明」と刷り込む。これが、17世紀から19世紀にかけて、 アムステルダム→ロンドン→ニューヨークへと金融センターが移る過程で、「キモマネー」が世界を支配するための精神的な装置だった。

 そして今も、「スペイン帝国の残虐さ」を強調する歴史教科書や映画が大量に作られ続け、
イギリス・オランダ・アメリカの植民地支配は「文明化の使命」として美化され、カトリックの教会の「公共財還元」の原則は、永遠に「時代遅れの迷信」と嘲笑される。だから「ブラックレジェンド」はただの歴史修正主義ではない。「キモマネー」を永遠に正当化するための、史上最大の「血の物語」 だ。

 カール・マルクス大英図書館の中で資本論で資本主義の搾取システムにぶち切れまくったあの激烈な批判は、まさに「キモマネー」の資本流動史の核心を暴き出している。マルクスは、資本主義が「自然発生した自由な競争」なんかじゃなく、血塗れの強奪と暴力で生まれた怪物だと喝破した。 その怒りの源泉が「キモマネー」の第一波、つまり16世紀の修道院解散と直結している。
 マルクスは『資本論』(1867年)で、資本主義の誕生を「原始的蓄積(original accumulation)」と呼んで糾弾した。 これは、資本家が最初に資本をどう手に入れたか?という話だった。マルクスいわく、資本主義は「労働者が自由に働いて富を築いた」なんて綺麗事じゃなく、生産者(農民や職人)を生産手段(土地や道具)から強制的に引き離す歴史的プロセスだった。 これにより、土地なし・道具なしの「自由な労働者」(プロレタリアート)が大量生産され、資本家に安く雇われるしかなくなる。
 マルクスのブチギレは、ここに集中した。このプロセスは「平和的」じゃなく、囲い込み、植民地搾取、強制労働、教会財産の没収という暴力の連鎖だった。
 彼はこれを「血塗れの歴史」と呼んで、資本主義の「原罪」を暴いた。例えば、『資本論』第24章「いわゆる原始的蓄積」では、資本の起源を「過去の逸話」として美化するブルジョワ経済学を嘲笑し、本当は「征服、奴隷化、強盗、殺人」だとぶち切れている。

 ヘンリー8世の「修道院解散」(1536-1540年)が、英国全土の800以上の修道院・病院・学校を破壊し、当時のGDP数年分(現代換算で数兆ドル)の土地・金銀・美術を王室と貴族が丸ごと私物化したのが「キモマネー」の原資だった、と指摘したが、マルクスはまさにこれを、原始的蓄積の典型例として挙げてブチギレてる。

 『資本論』第27章「農民の土地からの追い出し」では、ヘンリー8世の時代をこう描いた。修道院解散により、修道院の住民(僧侶や農民)が一気にプロレタリアートに投げ込まれ、教会の広大な地所が「近代化された地主」に与えられたと。
 これが、農民を土地から追い出し、資本家に労働力を供給した。
 さらに、マルクスヘンリー8世の法(25 Henry VIIIなど)を引用し、浮浪者(土地を失った農民)を鞭打ちや処刑で抑圧した「血の立法」を糾弾。
 要するに、マルクスの怒りは、「キモマネー」の源流、カトリックの公共財を俗権力が強奪し、私有化・資本蓄積したことが、資本主義の基盤を築いた点にある。
 これなくして、イングランド銀行(1694年設立)や奴隷貿易の金融資本は生まれなかった。

 マルクスのブチギレは、ここから「キモマネー」の資本流動史全体に波及する。
 原始的蓄積 → 金融資本の爆発。修道院解散の富が、オランダ東インド会社(VOC、世界初の株式会社)や英国の植民地金融の種銭になった。マルクスはこれを「植民地システムの商業戦争」と呼び、奴隷貿易・債務支配が資本を増殖させたことを暴露。
 19世紀の債務支配 → 現代のドル基軸。マルクスは、資本の集中が国家債務を生み、民間銀行(イングランド銀行FRB)が利子で永遠に搾取するシステムを予見。「国家債務を民間銀行が管理 → 永遠に利子を生む」こそ、マルクスの「資本の集中と中央化」の延長線上。

 結局、マルクスのブチギレは「キモマネー」の全歴史を予言的に暴いたものだ。修道院解散という「公共財の強奪」が資本の原資を生み、それが奴隷・植民地・債務・金融怪物へと流動し、現代の格差を生んでいる。 

 俺がもし仮に共産主義の独裁者なら、シンガポールとか香港とかドバイみたいな租税回避のキモマネーの富の集積場所を、軍事的に全て強奪して富を再分配して平等を目指す。

 中国って世界最強の莫大な資本の破壊力を身に付けてからそれをやろうとしてるんじゃないか?

 中国は90年代からGFWを作って微博みたいな自前環境を計画してきたのは極めて賢い米国外資への対抗的国策だった。

 アメリカではGAFAが自由競争から自然発生的に出てきた一方、中国は 「もし同じことを許したら、全部アメリカ資本に握られる」と理解していた。GFW(ネット検閲システム)はGAFAという米国巨大外資を完全に締め出す。その代わりに 百度、テンセント、アリババを国家が守って育成した。結果、中国のインターネット市場は「外資ゼロの超巨大内需市場」となり、アメリカのIT覇権に対抗する土台になった。

 1990年代、まだ「インターネットはオモチャ」と思われていた頃に、中国は「これは21世紀の石油」と見抜いていた。世界銀行IMFの経験を積んだ中国人エリート官僚が、帰国後に産業政策を組み込んだ国家資本主義を設計。
 GAFAのような民間巨大資本を作るのではなく、国家が直接コントロール可能なBAT(百度・アリババ・テンセント)を意図的に作らせた。

 アメリカでは勝ち残ったGAFAが覇権だが中国は国家の検閲と資本統制でGAFAのコピーを国家直轄で成長させた。つまり、中国は「偶然」ではなく「政策的にGAFA的存在を自国で必ず生む」と決めていた。

 世界のインターネット人口の約20%を中国が囲い込み、独自のSNS・決済・検索・EC圏を確立した。TikTok(字節跳動)は逆にアメリカ市場に逆輸出され、GAFAに並ぶ存在になった。

 BRICS?一帯一路?E-CNY(デジタル人民元)?着実に中国がアメリカと戦える国になってきたのは、20世紀から中国の桁外れの知性を持つエリートによって欧米自由主義圏に対抗するために企てられてきたことだった。

 多極化する世界情勢で生まれたキーワードにビットコインがある。2008年のリーマンショック(=ドル基軸システムの露呈した破綻)直後に、サトシ・ナカモトがビットコイン白書を公開した。
 その白書自体が「中央銀行の恣意的な通貨発行と永遠の利子支払い」に対する直接的反乱だった。
 しかし、皮肉なことに、BTCの爆発的な成長を支えたのは、ウォール街ヘッジファンド、VC、機関投資家、つまり「キモマネー」の本丸そのものだった。
 ブラックロック、フィデリティ、マイクロストラテジー、テスラ、さらには国家(エルサルバドルなど)までがBTCを買い漁り、ETFまで承認させた。
 つまり、BTCは「反キモマネー」として生まれたはずが、すぐに「キモマネーの新衣装」に取り込まれた。

 修道院解散 → イングランド銀行FRB → ドル基軸 → そして今、BTCは「国家や中央銀行すら超えた究極の私有財産」として君臨している。
 誰にも管理されない、相続可能な、永遠に利子を生まない(ただし価値が爆発的に増殖する)富。 

 中国は2017年からBTCマイニングをほぼ全面禁止し、2021年には完全排除。 理由は明らかでBTCが「国家の通貨主権」を脅かし、エネルギー浪費が環境政策に反し、資本流出の温床になるから。

 そして同時に、E-CNY(デジタル人民元)を猛スピードで推進する。中国は分散型のBTCを叩き潰し、「中央集権型デジタル通貨(E-CNY)」で対抗している。
 BTCは「バビロンの塔」の最上階に鎮座する。神が「言葉を乱して塔を崩壊させた」ように、BTCは「分散」と「無政府」を謳いながら、実際は新たな階層を生み出し(ホドラー vs ノーコイナー vs 機関投資家 vs 国家)の格差を極大化した。

 しかし同時に、BTCは「神の怒りの道具」でもある。 ドル基軸の欺瞞を暴き、FRBの無限印刷を嘲笑い、キモマネーの怪物に「もうお前は終わりだ」と突きつけた。

 ロシアは経済制裁の回避のためにBTCを使い、自国通貨に信頼がないがドルに対しても反米感情の強い国はBTCは最強のオルタナティブな資産だ。BTCは「キモマネー」の墓標でもある。

  結局はアメリカも、「悪を悪と言った人たちの末裔」として巨大化した挙句、功利主義の未熟な倫理観で異教徒に対して原爆を投下した。カトリックの教会法では婚前交渉が伝統的に違法とされてきた一方、有名無実化した違法聖職者が生まれ、それを見て驕りに支配されたプロテスタントは公共財を強奪して私益で既得権益を作り国営の売春宿を建て、自分たちの罪の水準に合わせて従来の違法を合法化した。

 BTCや新興国も正義なのかは疑問で人類に原罪があるから人間は腐敗する。

 欧米や先進国の偽善に神が激怒して、裁きのために悪すら用いるだろう。それほどまでに歴史は救いようがなく、英米は神ではなく自我を中心としたバビロンの塔を築きすぎた。

 紙幣は単なる紙であるが、なぜ紙に命や人生をかけることができる?それは紙が信頼と呪詛と支配の死屍累々の歴史によるからだ。神の計画を地上に実現させるためか、それとも単純に自らの私益と既得権益のためか。

 中世以前のイギリスのカトリックにおいて、身を粉にして働いてきた信徒が蓄財をせずに遺贈献金をして公に蓄財してきた公共財を、16世紀にヘンリー8世英国国教会は奪った。中世ではカトリックの教会や修道院が大学、病院、全ての公共を担っていたが、英国の国王が離婚や再婚をしたい、英国貴族が利権が欲しい、そういった自己中心性によって修道院を解散した。教会法に対する犯罪を「開き直って正当化」を始めた新興勢力に異議を唱えたカトリックの信徒であるトマスモアを殺害した。

 渡米した清教徒は神の激怒の道具になって英国国教会やルーテルの牧師を論破するアウトサイダーとして武装してきたが、昨今のポストリベラルの潮流でヴァンスとかを経由して本当にカトリックに回帰できるなら、アメリカは本物の神の国の前線になるのかもしれない。史上最強の鉄槌すら神は用いるんだろう。

 カトリックの意味はギリシア語で「公」。これが神の作った唯一の教会。神が生涯独身だったから聖職者は独身で、すべて蓄財は公に回収され、聖職者の相続も非合法。しかしそこから歴史的に血縁集団や異端が離反して既得権益を築き始め英米が盗んだ富で拡大、それにブチギレた人たちがアメリカやソ連や中国を作った。

 本当に虐げられている人は神を憎んで世を憎んでるから「救いたいと思える姿をしていない」とよく言われる。その認識が本当に大事だと思ってるからこそ厳格に誰に対しても同じ結果が出てくる仕組みが必要。力ある者が私益を独占したら暴徒に強奪されるのは摂理で、それは、暴徒が既得権益化しても同じ

 英米で発生したリベラルが公共に対して個人の権利を主張しすぎた結果、社会がバラバラになり、格差も極大化した。「公(カトリック)」の秩序、家族主義、そして「市場よりも公共の養子縁組共同体」を優先する倫理観は二千年の歴史がある。そこに壊れたアメリカと現代の腐敗した資本主義社会の再建を託そうとする動きがある。

日本語

よく、「重言(馬から落ちて落馬、頭痛が痛い)が~」だとか、「外来語の本来の意味は~」といった「間違った日本語を使うな」という意見を目にしますが。

間違った日本語っていったい何なのでしょうか?

 

三点リーダーはかならず二つにしなさい」

だとか

「文頭には空白を入れなさい」

だとかもそうです。

 

そもそも、「正しい日本語」なんてものはどこに存在するのでしょうか?

平安時代の古典ですか?

 

言語は、生物だとよく言われます。

現在使われている日本語は死んでいません。

口語の日本語は、標本のように固まったものではないので、正しいかどうかを決定するのはどうかと思います。

 

法律などの特殊な文脈を除き、「間違った日本語を禁止する」といった考え方は生き物を殺しているようなものだと思うのは、私だけでしょうか。

 

 

思った事

なんだかんだいって自分はツイッターが好きです。

限られた文字数の中で、どれだけ言葉を洗練させる事ができるか、

という観点から見ると、字数の制限があったほうが逆に良いと思うからです。

 

まあ、ブログにはブログの便利さがあるのかもしれないので(?)

ツイッターが不便に思うくらいまでブログを極めるのもいいかもしれません。